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岡山地方裁判所 昭和42年(行ウ)8号 判決

岡山県児島郡灘崎町彦崎二九一七番地

原告

備南土地株式会社

右代表者代表取締役

小林朝一

右訴訟代理人弁護士

楠朝男

右訴訟復代理人弁護士

奥津亘

同県倉敷市児島味野本町一の一五の二

被告

児島税務署長

磯崎良夫

右指定代理人

清水利夫

同右

門阪宗遠

同右

島津巌

同右

水平栄一

主文

1  原告の各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判ならびに主張は、別紙要約調書のとおりである。

二  証拠

(原告)

1  甲一ないし八号証

2  証人青山五十三郎、同岡田悟、同三宅寿志、同小林起久子の各証言、原告代表者本人尋問の結果

3  乙三号証の一および三ないし五、五ないし七号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立は認める。

(被告)

1 乙一、二号証、三号証の一ないし五、四ないし一三号証、一四号証の一、二、一五ないし二二号証、二三号証の一ないし四、二四号証

2 証人西井忠雄、同阿部栄一の各証言

3 甲一号証、六号証のうち各官署作成部分の成立は認め、その余の部分の成立は不知。二号証の成立は否認し、三号証、七、八号証の成立は認める。その余の甲号各証の成立は不知。

理由

一  原告の主張一、二の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、本件処分中、昭和四一年一月二九日付処分について、取消原因の有無を判断する。

岡山市岡字大道一九五番宅地七七九・八九坪(仮換地面積一六五坪相当部分および三九四坪相当部分)、同市岡字観音寺一九六番宅地四四八・〇一坪(同二八五坪)、同所一九七番宅地三七八・四三坪(同三六〇坪)、同所二一〇番宅地三三〇・六七坪(同一四〇坪)、右一九五番を分筆後の一九五番宅地一三八・七一坪(同九九・五五坪)および同番五宅地六六坪(同四五・七五坪、以下、右分筆後の一九五番および同番五を本件土地という。)が存在すること、昭和三七年六月九日、本件土地について訴外佐藤栄八から訴外小林起久子に対する所有権移転登記がなされたことは当事者間に争いがない。

いずれも成立に争いのない乙一、二号証、乙三号証の二、乙四号証、乙八ないし一三号証、乙一四号証の一、二、乙二一、二二号証、乙二三号証の一ないし四、乙二四号証、原告代表者本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲五号証、官署作成部分は成立に争いがなく、その他の部分は右本人尋問の結果により真正に成立したと認める甲六号証、証人西井忠雄の証言によりいずれも真正に成立したと認める乙三号証の一および三ないし五、証人阿部栄一の証言によりいずれも真正に成立したと認める乙五ないし七号証、証人岡田悟、同西井忠雄、同阿部栄一の各証言、弁論の全趣旨を総合すれば、

1  原告は、土地管理等を目的として設立された会社であるが、その設立関係者の一人で昭和初年その取締役をし、戦後も原告の株主であつた訴外佐藤栄八が岡山市内における同人の最後の所有地として前記分筆前一九五番、一九六番、一九七、二一〇番の合計四筆を有していたこと、原告はかねて、大阪府豊中市居住の佐藤から右土地全部の管理を任され、昭和二四、五年頃、その売捌方を委託されたところ、佐藤から直接買主に売却する方法をとることなく、原告が一たんこれを取得して売捌きをはかろうとし、原告において佐藤から、昭和二六年二月一九日そのうち前記一九五番の一部(仮換地指定日同年一月二二日、仮換地面積一六五坪相当部分)および前記一九六番(仮換地指定日前同日、仮換地面積二八五坪)、仮換地面積合計四五〇坪を代金合計四五万円(坪当り一〇〇〇円)で、同年九月一八日前記四筆の土地の残り全部、すなわち、前記一九五番の残り部分(仮換地指定日同年一月二二日、仮換地面積三九四坪に相当する部分)、前記一九七番(仮換地指定日昭和二五年七月三日、仮換地面積三六〇坪)および前記二一〇番(仮換地指定日前同日、仮換地面積一四〇坪、昭和三八年二月二八日同番六、七を分筆後は同番の一となり、登記簿面積が従前の三三〇・六七坪から二四八・四三坪となる。)、仮換地面積合計八九四坪を代金合計八九万四〇〇〇円(坪当り一〇〇〇円)でそれぞれ買い受け、以上の代金総額一三四四万円を同年一二月一五日頃を最終回として訴外佐藤に対して完済したこと、

2  そして、訴外佐藤も、所轄税務署長に対して右譲渡価額を一三四四万円として資産再評価法所定の申告をしたうえ、昭和二七年一月八日資産再評価税を納付済みであること、

3  ところで、前記各土地の大部分が賃貸中の土地であつたため、原告は、右買受後間もなくその半ば近くを借地人らに中間者原告の登記を省略して転売し、ようやく昭和三七年五月一七日になつて、右転売をしなかつた分筆後の一九六番登記簿面積三七〇・〇八坪、分筆後の一九七番登記簿面積三三三・三九坪、前記二一〇番一について、原告が佐藤からの所有権移転登記を経由したこと、

4  次いで昭和三七年六月九日、本件土地の時価は別表一のとおり総額八一九万七一七〇円であつたところ、原告は、原告代表取締役小林朝一の三女であり、かつ原告の役員である訴外小林起久子に対し、その役員報酬とは別個に、前記分筆前一九五番の一部である本件土地を対価を得ないで譲渡し、中間者原告を省略して、前記のとおり昭和三七年六月九日所有権移転登記がなされたこと、

以上のとおり認められる。

三  原告は、本件土地は昭和二六年一二月一七日訴外佐藤栄八から訴外小林起久子に売り渡され、その買受資金は右起久子が養女となる予定であつた同人の叔母訴外小林ツチの所有地である岡山市下西川町字鼠畔(ねずみぐろ)一一七番および同町八五番一の宅地の売却代金をもつてあてた旨主張し、甲一ないし四号証、同七、八号証を提出し、かつ、弁論の全趣旨から真正に成立したと認める甲四号証の記載、証人青山五十三郎、同小林起久子の各証言、原告代表者本人尋問の結果中には、右主張にそう部分がある。

しかしながら、甲一号証(佐藤栄八作成名義昭和二六年一二月一七日付小林起久子宛売渡証書)中、官署作成部分を除く部分は、前示乙九、一〇号証に徴し明らかなとおり昭和二六年一二月一七日当時、前記一九五番が登記簿上七七九坪八合九勺であつたのに、売渡物件の表示として、その作成年月日の記入と同一筆蹟の毛筆をもつて、昭和二九年八月二〇日分筆後の一九五番一三八坪七合一勺、同番の五の六六坪を記入しているのであつて、その全体は右分筆後に調整された文書であることが明白である(なお、貼用の収入印紙は、成立に争いのない乙一五号証によると、昭和三二年六月一五日以降に貼用されたことが明らかである。)。そして、その成立に関する原告代表者本人尋問の結果は信用できないところ、これが、右昭和二九年八月二〇日以降において作成名義人佐藤栄八の意思に基づいて作成されたことを認めるに足りる証拠はないから、結局、真正に成立した文書として証拠とすることはできない。また、甲二号証(佐藤栄八作成名義昭和二六年一二月一七日付登記承諾書)も、その成立に関する本人尋問の結果が信用できず、文書自体の体裁等から全体として甲一号証中、官署作成部分を除く部分と同時に作成されたと認められるところ、これが前記のとおり真正な文書と認められないことからすれば、同様に真正な文書として証拠とすることはできないというべきである。成立に争いのない甲三号証(佐藤栄八の昭和二六年三月二〇日発行印鑑証明書)をもつてしても、その用途に関する右本人尋問の結果は信用できず、結局用途不明の印鑑証明書であり、これのみによつて原告主張を認めることができないのは勿論である。そうして、前示甲四号証の記載、証人青山五十三郎、同小林起久子、原告代表者本人の各供述中、原告主張に添う部分は、にわかに信用できない。

かえつて、いずれも成立に争いのない甲七、八号証、乙一六ないし二〇号証、証人小林起久子の証言の一部、原告代表者本人尋問の結果の一部によれば、訴外小林ツチ(明治一八年九月一八日生)は原告代表取締役訴外小林朝一(明治三五年一月一日生)のいとこに当ること、朝一には起久子(昭和二六年一二月当時満一四才)の他にその姉三人いたが、昭和二六年当時嫁いでいた者は一人もいなかつたところ、起久子が特にツチとの間に将来の養親子関係を思わせるような緊密な実績はなかつたこと、前記下西川町の土地二筆は原告主張の佐藤、起久子間の売買の日昭和二六年一二月一七日よりも後である同月三一日および昭和二八年一〇月二九日に他へ売り渡されているが、うち一一七番は朝一の本籍地であり、二筆とも朝一の所有地であつたこと、起久子は、昭和四三年一一月二一日朝一夫婦の養子となつた訴外小林茂と同日婚姻し、右茂、起久子夫婦は岡山市岡一九五番地を新本籍とし、起久子は、いわば婿養子をとり朝一の跡取りになつており、亡ツチの祭祀は朝一がしていることが認められる。

そして、他に前記二の認定を左右するに足る証拠はない。

四  前記二の事実によれば、原告は、昭和二六年中に本件土地(仮換地面積合計一四五・三四坪)を坪当り一〇〇〇円、すなわち別表二のとおり一四万五三四〇円をもつて取得していたところ、昭和三七年六月九日別表一のとおりの時価合計八一九万七一七〇円である時にこれを訴外小林起久子に譲渡したのであるから、右昭和三七年六月九日において、その差引額について経済的利益を実現したと認めるのが相当であるから、原告の当該事業年度の法人税の所得金額の計算上、別表三のとおり、右八一九万七一七〇円を益金に、右一四万五三四〇円を損金にそれぞれ計上ですべきある。

五  そうだとすれば、原告の当該事業年度につき申告にかかる所得金額欠損三万四〇五〇円の存在することは被告の自認するところであるので、同欠損に前記益金を加算減算すると、その課税所得金額は別表三のとおり八〇一万七七〇〇円となり、別表四のとおり、その税額は法人税二九四万六七二〇円(法人税法一七条一項)、過少申告加算税一四万七三〇〇円(国税通則法六五条一項)となる。

従つて、本件昭和四一年一月二九日付処分には原告主張の取消原因がないから、適法というべきである。

六  次に、本件昭和四二年六月一四日付処分について取消原因の有無の判断するのに、前記二で認定したとおり、原告は、昭和三七年六月九日原告の役員である訴外小林起久子に対し、役員報酬は別個に、本件土地を無償で譲渡したのであるから、右譲渡は役員賞与と解するのが相当であつて、右賞与は所得税法九条一項五号の給与所得に該当する。

被告主張の別表五の金額のうち、他の給与額、給与所得控除額、基礎控除額については当事者間に争いがないから、右訴外人に支給した給与に係る源泉所得税についての課税給与額は同表のとおりとなり、右金額をもとに源泉所得税額、不納付加算税額を算出すると、いずれも同表のとおりとなる。

従つて、右処分も取消原因はなく、適法である。

七  よつて、原告の本訴請求は理由がないから、棄却すべく、行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平田孝 裁判官 米敏雄 裁判官 鈴木敏之)

(別紙)

要約調書

第一、当事者の求める裁判

一、原告

被告が原告に対し

1 昭和四一年一月二九日付でなした、原告の自昭和三六年一二月一日、至昭和三七年一一月三〇日事業年度分法人税につき、課税所得金額八、〇一七、七〇〇円、これに対する法人税二、九四六、七二〇円とする更正処分、および過少申告加算税一四七、三〇〇円とする賦課決定処分

2 昭和四二年六月一四日付でなした、原告の昭和三七年六月分の源泉所得税につき、課税給与額八、〇三一、六〇〇円、これに対する本税三、一七一、三〇〇円とする納税告知処分および不納付加算税三一七、一〇〇円とする賦課決定処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、原告の主張

一、被告は原告に対し、昭和四一年一月二九日付で請求の趣旨1記載の、昭和四二年六月一四日付で同2記載の各処分をなし、その頃、原告にその旨通知した。

二、原告は、これらの処分を不当として

(一) 請求の趣旨1記載の処分につき、昭和四一年二月二五日被告に対し異議申立をなし、同年五月二三日付でこれが棄却されるや、同年六月四日訴外広島国税局長に対し審査請求をなしたが、昭和四二年六月一四日付で棄却の裁決を受けた。

(二) 同2記載の処分につき、昭和四二年八月二五日前記局長に対し審査請求をなしたが、同年九月二〇日付で棄却の裁決を受けた。

三、しかし被告のなした右各処分は認定を誤つた違法があるので、これらの取消を求める。

第三、被告の主張

一、原告の主張事実中一、二を認め三を争う。

二、原告は、

(一) 訴外佐藤栄八から

1 昭和二六年二月一九日岡山市岡字大道下一九五番宅地七七九・八九坪の一部(仮換地の坪数一六五坪)および同市岡字観音寺一九六番宅地四四八・〇一坪(仮換地の坪数二八五坪)を、仮換地の坪数合計四五〇坪を基準にして定めた買受価格四五〇、〇〇〇円で

2 同年九月一八日前記一九五番の宅地七七九・八九坪中の残部(仮換地の坪数三九四坪)、同市岡字観音寺一九七番宅地三七八・四三坪(仮換地の坪数三六〇坪)および同所二一〇番宅地三三〇・六七坪(仮換地の坪数一四〇坪)を、仮換地の坪数合計八九四坪を基準にして定めた買受価格八九四、〇〇〇円で

それぞれ買受け、

(二) 昭和三七年六月九日原告の役員である訴外小林起久子に対し、前記の土地中岡山市岡字大道下一九五番の宅地を分筆して出来た同所同番地宅地一三八・七一坪(仮換地坪数九九・五五坪)および同所一九五番の五宅地六六坪(仮換地坪数四五・七九坪)(以下本件土地という)を賞与として無償譲渡し、原告を省略して直接前記佐藤から同女に所有権移転登記を行つた。

(三) 原告は、本件土地につき、訴外佐藤栄八は直接訴外小林起久子に売渡したものであり、前記のごとく原告を経由して譲渡されたものでない旨述べるが、この主張は、(イ) 原告が右佐藤から前記字大道下一九五番、字観音寺一九六番、一九七番、二一〇番、以上仮換地合計一三四四坪全部を代金合計一三四四万円で買受け右代金の支払をしていること、(ロ) 右佐藤が昭和二七年一月所轄税務署長に再評価税の申告(右譲渡価額一三四四万円)、納税をしたが、右佐藤は右土地以外に岡山市内に所有土地がなかつたこと、(ハ) 右各土地の固定資産税は旧所有者佐藤名義で原告が納付していたこと、(ニ) 右佐藤と訴外小林起久子間の本件土地売渡証書は昭和二六年一二月一七日付であるが、右月日までに原告と佐藤間の売買代金の最終決済も完了していたこと、等によれば、明らかに失当である。

三、したがつて、前記のとおり本件土地を社外に処分したとき、原告はその経済的成果を実現したものであるから、その年度の法人税の所得金額の計算につき、右成果である本件土地の処分時の時価相当額八、一九七、一七〇円(別表一参照)を益金に、その取得に要した価額一四五、三四〇円(別表二参照)を損金に、それぞれ算入すべきものである。

そうだとすれば、原告が昭和三八年一月三一日付で被告に対し申告した前記法人税の所得金額欠損三四、〇五四円に右金額を加算減算すると、その所得金額は八、〇一七、七〇〇円(別表三参照)となり、その税額は法人税二、九四六、七二〇円、過少申告加算税一四七、三〇〇円(別表四参照)となる。

四、また、原告は前記の如く、本件土地を原告会社の役員である訴外小林起久子に賞与として譲渡したものであるから、同女に支給した給与に係る源泉所得税は別表五記載のとおり、課税給与額八、〇三一、六〇〇円、その本税三、一七一、三〇〇円、不納付加算税額三一七、一〇〇円となる。

五、よつて被告は原告に対し請求の趣旨記載の処分をなしたわけである。

第四、原告の答弁

被告の主張事実中、二はそれらの土地の存在、それらの仮換地の坪数および訴外佐藤から訴外起久子に対する所有権移転登記の存在を認め、その余を否認する。原告は以前訴外佐藤栄八の前記土地を管理していたが、昭和二五年頃同人からそれらの売捌を依頼され、右土地の借地人数名に売渡した際、その一部である本件土地を昭和二六年一二月一七日原告代表者小林朝一の三女訴外小林起久子に売渡しその買受資金は、同女がその養女となる予定であつた同女の叔母訴外小林ツチの所有地である岡山市下西川町字鼡畔一一七番および同町八五番の一の宅地の売却代金をもつてあてた。被告の主張はこの事実を誤認したものである。

同三は、本件土地の何価相当額の点について不知。

原告が法人税の所得金額を欠損三四、〇五四円と申告した点を認め、その余を争う。本件土地の取得価額は一五万余円である。同四は、別表五記載の科目中「他の給与額」五二、〇〇〇円、「給与所得控除額」一二〇、〇〇〇円、「基礎控除額」九七、五〇〇円との主張を認めその余を争う。

別表一

原告が訴外小林起久子に譲渡した当時における本件土地の価格

〈省略〉

別表二

本件土地の取得価額

〈省略〉

別表三

法人税の態得金額の計算内容(自昭和三六、一二、一 至〃三七、一一、三〇)

〈省略〉

別表四

法人税額の計算内容(自昭和三六、一二、一 至〃三七、一一、三〇)

〈省略〉

別表五

源泉所得税の計算内容(小林起久子)

〈省略〉

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